最後の砦、そして思ったこと

今週のお題「お風呂での過ごし方」は、読むのが楽しい。書くより先に、読み回りしてました。

 

自分はというと長風呂、カラスの行水、シャワー、夏はクールダウンに水シャワーと気分や日によっていろいろ。サウナとは違って、家でのこだわりはないほうだと思う。ただ、過ごし方というよりも、意識の仕方に癖というか習慣があるかもしれない。

 

それはスマホやパソコン、メガネから離れ、ぼんやり頭に浮かぶことを「待つ」のが癖になっているということ。湯船に使っていたり、頭や体を洗っているとき、なんとなく気にしてたことの解決の糸口を思いついたり、やることの順番がうまく整理できたりすることが多い。これまでの経験則として、考えて考えて答えが出ないことでも、環境(場・身体状況)や時間を変えると光が見える時があるというのがあって、その環境として「お風呂」を積極的に利用している。特に、切羽詰まった状態での朝風呂は最後の砦かつ奇跡の起きやすい場面。ギリギリのところで切り抜けられたり、偶然思いついたことが重要なことだった、ということも(だからやめられない)。

 

今は、答えを見つけようとしなくても(思いつこうとしなくても)、準備さえして待っていればそのうち「(身体中の細胞や神経がうまい具合に働いて解決策が)降ってくる」と信じている。その感覚に慣れすぎたら良くないとは思うけど、それまでの準備=行動(調べたり考えたり)と自分の思いを信じて一回無心になって「待って」みると、だいたいなんとかなる。いまここに書いて初めて気付いたのは、「よくわからない何かを信じている」のではなくて「自分の細胞を信じて」いたんだなということ。宗教とは無縁のところにいるな。いや、むしろ「お風呂教」という手は…ないか(笑)。

 

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そして今日、ランニング終わりのお風呂にて。シャワーをしながら「なんかこれが幸せなんだな」とふと思った。

 

最近、断水のニュースやアフガニスタンの続報を見たからかもしれない。

 

日本では大きな地震もあった。幸い自宅付近の水道管は影響なし。数年前に水道管の老朽化に伴う入れ替え工事をしていたのを思い出した。道路が一方通行になったり、迂回が必要だったり、生活には影響があったけれど、ああいう工事がちゃんと行われて、この生活があるんだなと。本当に、ありがたいことです。

 

いまは普通に週末にランニングできる環境と健康が自分にはあって、休日は好きな時間にやりたいことができる。過去・現在・未来と幸せの高低差はたぶんあるだろうけれど、いちおうここはまだ平和だし、温かいお湯も、飲める水もいまは出る。感謝だけでなく、目標としている行動をできるように。

 

そんなことがゆらゆら思い浮かんだお風呂の時間。