頭を空にすることが良いと思っていたあの頃

夏休みももうすぐ終わり。長期休暇中はなるべくiPhoneを触らないようにしているのですが、ニュースアプリ経由でたまたま読んだ記事にちょっと考えさせられたのでメモしておきます。あー、やっちゃったなって。

 

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その記事は、『勉強が一番、簡単でした 読んだら誰でも勉強したくなる奇跡の物語』(チャン・スンス著/吉川南訳/ダイヤモンド社/2023年)という本の書評で、なかでもその本で紹介されている勉強法に触れたものでした。「ノートと鉛筆をほとんど使わない」という勉強法に、「いやいや無理でしょう」と思いつつ、「頭は使えば使うほどよくなる」という利点にハッとしました。「自分、頭を使っていないかも。これっていつからだろう?」

 

GTDが流行ったのは15年ほど前でしたかね。頭の中がごちゃごちゃだった自分にとっては世界が変わったというか、そんな気がしました。ノート術なんかも流行りました(過去形にしましたが自分の中では進行形。昨日も新しいノートをおろしたばかり笑)。ライフハックとか、仕事術、時短テク、片づけ術(懐かしい!)とか、その流れの先にミニマリズム、ミニマル主義に辿り着き、増え続けるももクロのグッズとの板挟みになっています。

 

そんな感じなのでまだまだ仕事の進め方や手帳、ノートの書き方に「最適解」は見つかっていないのですが、おおもとの部分ではGTD的な考え方が身についてしまっていると思います。GTDを雑に説明すると、気になることをすべて書き出して、整理して、やる、の繰り返し。書き出す=頭を空にすることが重要で、頭は何かを考えたり(生み出したり)するために使いましょう、という考え方だったかと。それを15年ほど改悪しながら続けてきた結果、「頭を空にすることだけが得意になった自分」がいました。大反省。

 

その間、資格試験を受けたこともありましたが、勉強でも仕事でも日常でも、「次に改善が必要なこと以外はさっと忘れる」「メモに書いたら忘れる」「人に伝えたら忘れる」「ブログに書いたら忘れる」ことが当たり前になりすぎている気がします。意識的に頭を空にしようと(忘れようと)していた時期を経て、無意識なのはともかく、ほぼ無選択になってはいませんか?というのが今回の疑念。「あー、やっちゃたかもな」と思った理由です。そして過ぎ去ってしまった年月の長さですよ(呆然)。もう取り戻せないけど、遅いけど気づけた。それで良しとするしかありません。

 

とはいえ、急に「頭使っていこー!」と意気込んでも何をどう変えれば良いのか皆目わかりません。記憶に留めるよう意識しながら読書するとかですかね? あと暗算? 通勤に使っている路線の駅名を覚えるとか? 無駄なことに頭を使うのはちょっと違うのかな…。

 

GTD的思考(改悪版)からの卒業はなかなか難しそうですね。今日このブログに書いたことも忘れないようにしないと。

 

 

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2023年7月@京都