親ゆずりの飽き性でこどもの時から三日坊主ばかりしている。
ただ語感を合わせるために親を使ってしまった(あながち間違ってはいない)。ごめんなさい。
9月にブログを閉鎖しようとして再開して(経緯はこちら)、今日までポツポツと更新を続けることができた。その結果なのか何なのか、久しぶりにGooge AdSenceを開いたらずっと「0」表示だった「残高」に数字が! 支払い可能額(8000円)にはほど遠いので(というか無理)、あくまでも表示される数字が「0」じゃなくなっただけの現象。それでもなんだか嬉しかった。
「102」(書いちゃった…)でも、決して「0」ではない。
なんて思ったら、三日坊主の歴史は「ゼロ」を「とりあえずゼロじゃなくしてきた」歴史だなと朝から自己肯定モードに突入(笑)。特にここ数年のひどすぎる三日坊主に自分ごとながら困ったもんだと俯き気味だったので、ちょっとすっきりした。増え過ぎてしまったグッズ問題は解決していないのだけど。
自宅引きこもりが奨励されていた期間、いろいろ手を出した。なかでも、あっという間にブームが過ぎ去ったのが、魚を捌くことと水耕栽培。水耕栽培は3回分のセットだったのに、まだスプラウトの種が2回分残っている(はず)。
どちらも「やったことある?」と聞かれたら、「あるよ」と答えられる。
「やったことがある」を「1」とすると、答えは「1」。
その答えには含みが含みがあって、
「あるよ(とりあえずだけど…)」
「あるよ(いちどだけど…)」
こんな感じ。
もし「ちゃんとできる」「マスターした」というのが「1」になるなら、答えは「0.1111111」とか「0.3くらいですね」、ということになる。けど、経験したかどうかは「ゼロかイチか」。そういう考え方も悪くないな。無駄遣いしない程度に、「ゼロ(やったことがない)」を「イチ(やったことがある)」にひっくり返していこう。
ここまで書いて、今あることを思い出して頭を抱えている。
魚捌きブーム時に注文した包丁が、来年届く。
ギョギョギョ。